「八はっ百ぴゃく」とは、古(ふるい)日本語(にほんご)で、非常(ひじょう)に数(かず)が多(おおい)ことを表(あらわす)表現(ひょうげん)だ。
平安(へいあん)時代(じだい)(794-1192年ねん)に、自分(じぶん)で作(つく)った野菜(やさい)を売(う)り歩(ある)く商人(しょうにん)が現(あらわ)れた。
これが今(いま)の八百屋(やおや)の始(はじ)まりといわれる。さらに、江戸(えど)時代(じだい)(1603-1867年ねん)に入(はい)ると、都市(とし)の発達(はったつ)とともに八百屋(やおや)は店(みせ)を持(も)つようになった。
当時(とうじ)の店(みせ)は、野菜(やさい)のほか、乾物(ひもの)、海藻(かいそう)、木この実(み)など、多種(たしゅ)多様(たよう)な品物(しなもの)が置(お)かれていた。
つまり、「多(おおく)のもの=八はっ百(ぴゃく)のもの」を売(う)っている店屋(みせや)ということで、八百屋(やおや)と呼(よ)ばれるようになった。
“八百”在日本古语里是“很多”的意思。在平安时代(794-1192年),出现了一边走着一边贩卖自己种的蔬菜的商人,这便是现代八百屋的开端。
进入了江户时代(1603-1867年),随着城市的发展,八百屋有了自己的店铺。
当时的八百屋,除了蔬菜,还摆放有干货、海藻、果子等各种各样的物品。也就是说,卖“很多种商品=八百种商品”的商店,人们便称之为“八百屋”。
“八百”是“很多”的意思,最初叫做「八百物屋(やおものや)」也就是「八百屋店(やおやだな・やおやみせ)」,后来渐渐地简称为「八百屋」了。
江户时代,经营「青果物(せいかぶつ)」(食用蔬菜、水果、山野菜、蘑菇等)生意的老板叫做「青屋(あおや)」,时间久了之后演变成了「青屋(あおや)」的谐音「やおや」,也就是八百屋。
「八百」本来读作「やほ」,后来读作「やを」,最终演变为「やお」。又因「青」本来读作「あを」,「やおや」这个词出现后,便假借了「八百屋」这三个字。
——語源由来辞典
そのほか:
一般来讲,八百屋会从市场进货,然后将进购的蔬菜和水果卖给消费者,也有的会贩卖自家腌制的菜品。也叫作“青果店(せいかてん)”
再者,相当多八百屋的店名叫做“八百”,现在依然叫“八百”的店基本上都是一些老店。