は言葉(ことば)の意味(いみ)を曖昧(あいまい)にして使うことが多い。また自分自身(じぶんじしん)の感情(かんじょう)を曖昧にすることも多い。ここでは日本人が普段(ふだん)何気(なにげ)なく使っている言葉を例に日本人の曖昧さを捉えていく。そして日本人の曖昧さの原因(げんいん)を考える。
日本人说话的时候总是喜欢暧昧含糊的表达自己的话。而且经常也不直接表述自己的感情。这里我们一起用几个例子,来看一下日本人的暧昧,思考一下日本人含糊不清的原因。
◆いつも子どもがお世話になっております。(儿子承蒙您关照了)
親が「いつも子どもがお世話になっております」と言うときは、心から感謝(かんしゃ)している場合もある。しかし礼を言う必要はないと感じながら言うときの方が多い。この言葉のそこには2つの重要な観念(かんねん)が秘められている。
父母说【孩子承蒙您关照啦】的时候,有时确实是心生感激。但是很多人虽然觉得没有必要道谢,却也这么说。这句话里隐藏着2个重要的观念。
一つは家族に対する行為(こうい)に対しては、自分自身が好意(こうい)を受けたのと同じように、感謝の意を示すべきだという考えである。
もう一つは、人とのつながりは自覚(じかく)しなくても恩恵(おんけい)を被っているかもしれないから「お世話になる」という関係(かんけい)で捉えるべきだという考えだ。
一、是别人对于自己家庭成员的行为,也认为是自己受到了别人的好意,所以应该表达谢意。二是就算是没有认识到人与人之间的关联,也应当认识到也许是蒙受了恩惠,受到了别人的照顾。
◆先日はごちそう様でした。(先前承蒙您款待了)
このときに言う「先日」とは3ヶ月まであることも多い。日本人は食事(しょくじ)をごちそうになったときは、必ず記憶(きおく)にとどめて礼を述べる。そのときに十分に感謝をしたのだから、もう一度お礼を言う必要(ひつよう)はないと思うが、怠ってはいけないものと考えられている。しかしこの言葉の根底(こんてい) には、どちらがお金を払ったかということが問題なのではない。それよりも、前回会って楽しかったという事実(じじつ)を記憶(きおく)しているのが重要なのだ。つまり、同じ経験(けいけん)を分かち合ったことを忘れていないことを示すことなのだ。同じ経験を持ったことの記憶が両者の良い関係を築くのに役立つのだ。
这个地方说的【先前】,很多是在3个月之前。日本人如果接受了别人的请客吃饭,一定会记在脑海中,并对请客的人表示谢意。虽然这个时候已经充分的表达了自己的感谢,没有必要再感谢一次了,但是日本人会认为,这个时候也不能怠慢。这句话的根本,并不是谁付了这餐饭钱,更重要的是为了表达还记着之前见面非常快乐这件事情。也就是说,为了表示忘不了之前跟对方分享过相同的体验。而分享过相同体验的回忆才是构筑两者之间良好关系的基础。
◆うちはもっとひどいんですよ。(我这儿更倒霉)
日本人はよく自分の不幸(ふこう)を人に向かってこぼす。自分の幸運(こううん)を簡単(かんたん)に認めようとはしないのだ。一つは相手の感情を思いやってのことであろうし、また冷たくされたり敵意(てきい)を持たれたりするのを極度(きょくど)に恐れるからだ。そして聞き手の方でも相手の不運を認めようとはせず、ほめたりうらやんだりするのをやめない。家族について愚痴(ぐち)を言うのは、日本人、特に女性の間でよく見られる。母親はたいてい、うちの子供は行儀(ぎょうぎ)が悪いとか学校の成績(せいせき)が悪いだとか言う。妻は夫のことを怠け者で気が回らないと言う。聞き手に回った者は自分の子供や亭主(ていしゅ)はもっとひどいと言う。こうしたやりとりで、相手も自分も同じような不運で多くの共通点(きょうつうてん)を持つことを確認(かくにん)する。だがすぐに忘れてしまう。話のネタとして、人間関係を作る道具(どうぐ)になっているに過ぎないのだ。
日本人经常对别人说起自己的不幸。是因为日本人不会轻易的接受自己是幸运的事实。一是因为考虑到对方的感情才这么说,二是因为不想受到对方的冷漠,或者是非常害怕遭到对方的敌视。而且,对于听者而言,并不是认同对方的不幸,而是不停的称赞对方甚至是表达自己的羡慕之情。
对于家庭的抱怨,是日本人,特别是日本妇女之间最常见的。家里的母亲大体上都会抱怨自己的孩子表现很差,学校成绩不好。家里的老婆也经常会抱怨自己的老公又懒又对家里的事不上心。听的人这时候一般都会说,哎,自己的孩子呀,老公表现的更差呢。这样一去一来,双方就觉得对方和自己有很多共通点,都遭受了生活的不幸。但是这种情感忘起来也非常快,说到底,也不过是把这些怨言当做是建立人际关系的道具罢了。
◆たいへん結構だと思います。でも間違いかもしれませんが……。
(我认为非常不错,但是这里稍微有点错误。。。)
日本人は人の言うことを批判(ひはん)するときは必ず、賛成(さんせい)しておいてから批判をする人が多い。感情を傷つけることなく批判をするのは非常(ひじょう)に容易 (ようい)ではない。日本語の丁寧(ていねい)な会話では批判をするときには特に時間をかけ気を配ることが必要である。誰かに批判を求められたときは、まずその案を高く評価(ひょうか)する。その後に批判を示す。日本人は相手との関係を損なうことなく意見の言える適切(てきせつ)な瞬間(しゅんかん)を見出そうと考慮(こうりょ)し続けているのだ。
日本人在批评别人的说法的时候,一般都会先扬后抑。想要达到不伤害别人的感情来批评别人的效果,是非常难做到的。日语中在正式的对话中,要表达批评这个感情时,是非常花时间并且需要非常小心翼翼的。如果想要批评某个人,首先是需要高度的评价一番,然后在表示批判。日本人一直在探寻着在不损害对方的人际关系的前提下,发现最适合的瞬间表达自己的意见。
◆おつかれさまでした。(您辛苦了)
理髪店(りはつてん)で調髪(ちょうはつ)が済むと理容師(りようし)は「おつかれさまでした」と言う。客にとっては椅子にかけて、ぼんやり考え事をするだけでぜんぜん疲れた覚えはないはずだ。疲れたのは理容師自身ではないだろうか。しかしこれは日本式の感謝の挨拶なのである。非礼(ひれい)を詫びたり、いたわりを示すことによって感謝を表明することはよくあることだ。
理发店的理发师在剪完头发走后都会说一句:“您辛苦了。”但是对于客人来说,只不过是坐在椅子上,心不在焉的想想事情也就过去了,根本不会觉得疲倦。辛苦的只是理发师自己而已。但是这个也是日式表达感谢的寒暄罢了。通过表达自己的不礼貌的歉意,以及表达自己的体贴关心,来对对方表示感谢,是常有的事情。
日本人の曖昧さの原因:
一、人の感情を傷つけたくない。(嫌われるのを極度に恐れているので感情をあまり出せない)
二、良い人間関係を築きたい。(人と同じ感情を共有することで人間関係を形成)
总结一下,日本人暧昧的原因主要有一下两点:
1.不想伤害别人的感情(因为极度害怕被讨厌,所以不想表现出自己的感情)
2.想要构建更好的人际关系(通过和对方共有相同的感情来形成人际关系)